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基礎知識

地  理


ゴビ風景

 モンゴルは中央アジアの東部に位置し、国土の総面積156万5,000km。東西の距離2,392km、南北1,260kmです。国土は全般に山がちであるが、平野も多く、国内の最高峰はナイラムダル山で海抜4,734m、最低地はフフ・ノール盆地で海抜560mです。首都のウランバートルは海抜1,500mです。国土の8%が森林に覆われ、2,5%がゴビと呼ばれる砂漠地帯です。河川は約4,000あり、その全体の長さは67,000km、その中で最も長い河川はオルホン川(1,124km)やヘルレン川(1,264km)です。 湖沼は大小合わせ約1,200あり、大きな湖はウプス湖(3,350km2)やフプスグル湖(2,620km2)です。

気  候

 内陸型の乾燥した気候で、夏は40℃近くになる日もある一方、真冬はマイナス40℃を下回ることもあります.モンゴルの夏は約1ヶ月と短く、1年の約半数は氷点下になり、ウランバートルでも8月の末には雪が降ることがあります.旅行の際には、夏場でも防寒具の携帯をお薦めします.
人  口


ウランバートル

 人口は1925年の段階で、65万1,700人でした。当時は男子人口の40%以上が妻帯の許されない仏教ラマ僧として、僧院や寺院に住込み、自らは労働せずに、他人の労働で暮らしていました。しかし、人民政権になってから人口は約3倍に増加し、1986年には196万人に達しました。現在はさらに増え、約242万人になっています。総人口の約90%がモンゴル人、約5%がカザフ人、その他少数の漢族などです。なお、カザフ人の人口は現在カザフスタンへの移住によって流出しています。また、総人口の約3割にあたる人口が首都ウランバートルに居住しているため住宅問題などが深刻です。

民族・言語

 モンゴルの住居は、モンゴル語系民族とチェルク語系民族からなり、人口の約90%がモンゴル語系に属します。 また、独特な蒙古文字は約700-800年前から使われています。 国の公用語はモンゴル語ですが、カザフ族の住むバヤン・ウルギ・アイマクでは、カザフ語で公務が行われています。 国民の平均寿命は67歳です。(1987年)
政  体

 大統領制です。大統領の下に首相を長とする内閣があります。
通  貨

 通貨はトゥグルグです.紙幣には5、10、20、50、100、500、1000、5000、10000があり、硬貨には10、20、50、100、200があります.
入  国

日本人がモンゴル国へ入国する為には査証(ビザ)が必要です.緊急の場合にはウランバートルの空港で取得することが可能ですが、一般の観光旅行の場合は事前に取得することをお薦めします。
なお、査証は駐日モンゴル国大使館(東京渋谷区)、在大阪モンゴル国名誉領事館(大阪市中央区)で発行しているほか、各旅行会社にて代行しています。
税  関

入国時 モンゴルへ免税で持ちこめる限度はタバコ200本、葉巻50本、かぎタバコ250g、ウオッカ1リットル、ワイン2リットル、ビール3リットル、香水3本までです。
外貨は2000ドルまで持ち込みが可能ですが、出国時にその額以上の持ち出しが禁止されています。
出国時 モンゴルから持ち出す際の免税はタバコ200本、アルコール類2リットルまでです。植物、古生物の化石、古文書などは特別の許可を得たもの以外、持ち出しが禁じられています.
治  安

モンゴルの治安は基本的には悪くないと思います.ただ、どこの国でもそうのように外国人をからかったり、ぼったくる人は見受けられます。また、フタが外れたマンホールが多いので、夜間の道を歩くときには注意が必要です。
モンゴルは強いお酒をよく飲むお国柄ですので、夜の酒場などでは泥酔者や酔漢に注意しましょう。
(自分自身がならないようにも気をつけましょう.)
市内交通

モンゴルの市民の足はバスとトロリー電車です.バスは距離に関わらず、1回200トゥグルグで、車内にいる車掌に直接支払います.トロリー電車の料金は100トゥグルグです。
また、この二つの他に白タクもよく走っていますが、現地に慣れている方やモンゴル人が一緒でなければ、やめておくほうが無難です。
なお、モンゴルでは自動車は右側通行なので、横断の時などは左側から安全を確認してご用心下さい.
伝統住居

 モンゴル族は北方遊牧民族として独特な民族伝統を持っています。蒙古ゲルは草原遊牧民の特有な住宅であり、古くから民族と共に長い年月を過ごしてきました。蒙古ゲル式の建築は漢代にまで遡る事ができ、「史記」、「漢書」ではゲルを「氈(せん)帳」と「穹廬(きゅうろ)」とよんでいます。その形は天幕の如く、外側がフェルトで覆われています。このような建築が蒙古ゲルの前身でした。蒙古ゲルの骨組みは普通木で作られており、骨組みは「哈那(はな)」と「烏泥(うでい)」の二つの部分に分けられます。「哈那」は網状の構造で伸縮可能で、蒙古ゲルの側面を形成しています。「烏泥」は数十本の長い木棒で、屋根の部分に相当します。骨組みを組んでから上にフェルトを覆って蒙古ゲルは完成します。 蒙古ゲルは制作簡単、移動便利の特徴があるので遊牧民族の生活と環境に適しています。

食 事

 蒙古族の食生活は肉と乳製品が主で、米や麺類もあります。肉食は主に牛、羊肉が多く、乳製品は牛、羊、馬、山羊、ラクダのミルクを原料として作られたものです。

伝統輸送

 モンゴル族は騎馬民族ですので、草原のモンゴル人は皆、馬を操ることに長けており、脚の早い馬を持つことが誇りとされています。大きな車輪の蒙古式牛車も草原の重要な交通輸送手段として「草原の舟」と呼ばれています。木で制作された牛車の特徴は、車体が軽く、木の車輪なので草原と砂漠に適していることです。

歴 史

 モンゴル族は、勤労、勇敢、悠久な歴史を持っています。7世紀頃には現在のモンゴル、ウルンベル盟エルグン河の南岸の密林地帯に住んでいました。彼等は室韋族から分離したものであり、「旧唐書」では蒙古室韋族と呼ばれ、歴史上では蒙古等と記述されていました。 8世紀頃、モンゴル族は西へ、現在のオノン河、ヘルレン河の上流とヘンティ山の大草原に移住し、遊牧生活を行うようになりました。力を蓄えたモンゴル族は勃興し、1189年に首領に推挙されたテムジンは16年間の苦しい戦いを経て、モンゴル草原全体を支配するようになりました。

 1206年、モンゴルの全集落が集合し、テムジンを全モンゴルの最高の君主として大汗「チンギスハーン」に推戴することを決議しました。チンギスハーンはモンゴル諸部族を統一してから、強大なモンゴル民族の共同体を形成しました。その後、外に軍事拡張を進め、1227年、西夏を滅ぼしましたが、チンギスハーンは死去しました。息子オコタイはチンギスハーンの意志を受け継ぎ、南宋と連合し、1234年金を滅ぼしました。
1260年、チンギスハーンの孫フビライは大汗を自称し、1271年大都北京にて国号を元に改め封建式の正当王朝を築き、1279年には、南宋を滅ぼし、全中国を統一しました。その後東欧とアジア大陸で軍事的勝利を収め、世界に知られる軍事的・封建的な大君主国家を建設しました。しかしその国家も征服した諸国民の強力な解放闘争にあい、封建領主達が互いの間で争うようになり、国家が崩壊する主要な原因となりました。1368年、元朝は朱元璋が建立した明に滅ぼされ、モンゴル族はモンゴル高原に後退しました。
16世紀末頃、現在の中国東北部に満州族の強大な軍事的封建国家が建設され、モンゴルは占領されました。これにより、モンゴルは政治的独立を失い、清朝の植民地となり、国際的な帝国主義の支配下になりました。
1911年12月1日、モンゴル人民は200年以上にわたる清朝の支配から独立を宣言し、全権君主制国家を樹立しました。 しかし、中国と帝政ロシアは二国間で密約を結び、1915年5月のキャフタ会議でモンゴルを中国宗主権下の自治国と宣し、1919年、中国軍閥は外モンゴルの自治を撤廃し、モンゴルを占拠しました。 1921年3月には、封建主義と植民地主義に対する革命運動が高まり、モンゴル臨時人民政府と人民軍が創設されました。 スフバートルの指揮したモンゴル革命軍は臨時政府の要請で到着したソビエトの赤軍部族と合流し、モンゴルを占拠していた中国軍閥とロシア白軍の徒党を一掃し、1921年7月11日、人民政府の樹立を宣言しました。 1992年、東欧の社会主義の崩壊にともない、モンゴルも資本主義政策に転換し、それまでのモンゴル人民共和国からモンゴル国へとかわり、今日に至っています。